Posted on 2008-10-29 by admin under [01] マーケティングとは.
企業活動の本質は顧客創出活動にあると言った。顧客創出活動とはマーケティングという機能で担う。マーケティングとは「売れる仕組作り」である。よくマーケティングを営業と勘違いする向きが多いが、現実にはマーケティングとは営業と真逆のことである。営業は本質的に企業にとって必要なものではない。殆どの場合、モノやサービスは黙っていても売れないから、こちらから営業というリソースを掛けて顧客へ足を運び売りに行くのだ。営業というのはそういう考え方をすれば本質的に必要なものではない。相手が認知していないものを認知させ、相手にメリットを感じてもらい、最後に成約する。そのプロセスを行うのが営業である。ではマーケティングとは何だろうか?マーケティングとは売れるための素地を作る活動である。究極の姿を言えば、営業マンが売り込まなくても勝手に売れていく仕組を作るのである。営業は基本的に変動的要素である。あるモノやサービスを2倍売りたいとすれば、2倍の営業リソースが必要になる。これに対してマーケティングは固定的要素である。マーケティングがよければモノやサービスを2倍売るにも、営業リソースは増やす必要がない。あるいはお客のほうが勝手に並んでくれれば、営業リソースなんて本質的に不要なのである。
よくこんな例えがある。あなたがホットドッグ店を始めるとする。神様が一つだけあなたに与えてくれるとしたら、あなたは一体何を要求するだろうか?一等地の立地だろうか。あるいは世界一美味しいホットドッグを作るノウハウだろうか?答えはこのどちらでもない。唯一の正解は「腹ペコの客」である。顧客がお腹が空いていれば僻地だろうが、不味かろうがお客は来る。高い値段でも買ってくれるだろう。そこに営業マンは不要である。こんな例もある。MBAを卒業したメンバーが集まり経営コンサルタント事務所を始めた。いくら待っても顧客が来ないため、必死で電話営業を掛けて顧客を探し出し何とか倒産を免れた。営業だけでは自転車操業になり、業容を一気に拡大することは出来ない。営業とはそういうものであり、マーケティングとはその営業が不要になることを表している。ピータードラッガーの言葉にも、「Theme of marketing is selling unnecessary」という言葉がある。よくこれを、「マーケティングとは不必要を売ることだ」と解釈する笑い話があるが、勿論これは誤りである。「マーケティングとはセリン
グを不必要にすることだ」と解釈するのが正しい。顧客のニーズを明確化し、それに合った価値を提供する。そして顧客を並ばせる。売り込まなくても売れるのがマーケティングの本質である。
Posted on 2008-10-29 by admin under [00] 序章.
これらの疑念が脳裏をよぎるのは当然である。これまでの会社組織、特に戦後から日本の高度成長期、そして80年代のバブル期を経てきた企業にとっては、経営とはマーケティングから、研究開発、生産、販売までを一つの大きな川に例え、その川上から川下を統合することに最大の付加価値があると信じてきた。事実、ビジネス全体をトヨタという会社の中に抱えてある意味ブラックボックス化することで収益性を高めてきたのである。行き届いた従業員教育、統一された賃金体系、指揮命令系統の一元化、コミュニケーション障壁の少なさ。これらが日本人の気質に合うのもうなずける。契約社会ではなく、なぁなぁでお互いを思いやりながら仕事をすることに価値を見出す。また一方で終身雇用を前提とした家族意識、ムラ意識が帰属意識を高める。社内に職種が多く、活躍の場があふれているため、転職という大きなリスクを犯すことなくゼネラリストへの道を歩むことが出来る。他の民族より危機意識やネガティブ思考が強いといわれる日本人の気質にあっていることは確かだ。
しかしこれらを踏まえた上でも、先ほどの質問にもう一度立ち返って欲しい。我々にとって水平分業の余地は本当にこれ以上無いのだろうか?今やトヨタに集まる人材は優秀である。完璧な教育を受けた東大卒業生が世界№1企業へと山ほど押し寄せる。そこで彼らに用意されている教育カリキュラムと成長のプランやステージは、本当に分業した会社で学ぶことと同じレベルであろうか?トヨタの販売会社が教える車の売り方は、車の販売を専門としている会社のノウハウと比べてどうであろうか?専業の会社はそれだけで生き残るしかないから必死である。厳しい競争の中で長期的に販売だけで業績をなしえるために、自社内に厳しい論理と条件を持って自分を律する力が育まれる。顧客の視点に立てば、営業マンがトヨタの社員であろうがなかろうが、本質的には関係ない。教育が行き届き、気が聞いて、顧客要望を汲み取ってベストな提案をしてくれる営業マンから買いたいものである。そういう従業員を教育できるのは果たしてトヨタのほうだろうか?あるいは専業企業だろうか?
この考え方は全てのプロセスにおいて言えることであり、また、日本企業にとって良く当てはまる事実である。日本企業の垂直統合の姿を言い換えると、究極の表現は、「他者の人材よりも自社の人材のほうが優れている。」そして「他社の仕組よりも自社の仕組が優れている」ということだ。企業は人によって成り立つ。また企業の運営は仕組によってなされる。それを作るのもまた人である。垂直統合の考え方の根幹は、分業にメリット無いと言い換えているに等しい。その根底に流れるものは、自社の仕組に対する根拠なき自負である。是非本質的に自身の事業における垂直統合と水平分業を見極めて可能な限り水平分業の知識資本企業へと変貌することがこれからの企業における経営のテーマである。
これまで20年間の経営のテーマは選択と集中であった。非中核事業の切り離しと、自社の強い事業への経営資源の集中投入である。そしてこれからの20年の経営のテーマも同じく「選択と集中」である。そしてそれは微妙にニュアンスを変え、自社の得意事業だけではなくさらに一歩踏み込んだ、自社の本当のコアコンピタンスとそれを支える「頭脳・知識」のみに経営資源を集中投入するという意味であり、考え方だ。
車を1万台売るのと、1000万台売るのでは直接労働という観点では単純に言うと1000倍の労力が必要であるが、知識労働という観点では1000倍必要なわけではない。優れたマーケッターが商品コンセプトを一つ考えれば、それが直接労働の何十倍、何百倍もの生産性を発揮する。優れた生産工具を設計できる技術者がいれば、直接労働者の数を半減できるかもしれない。これら知識労働者の生産性の最大化は地球規模で富の配分を促進し、頭脳によって世界の生活水準を高めるという壮大な人類の栄光の証でもある。このように知識労働者の限界生産性を高めることが社会全体の発展につながるわけだが、一方で知識労働の最大の問題点は成果が測りにくいことである。直接労働者は、自動車を何台作った、自動車を何台売ったというように定量的な成果判定が行える。しかし、知識労働者はそのような定量的な仕事の成果の判定が極めて難しい。マーケティングのコンセプトにその人物のアイデアがどれくらい貢献したのか。優れた生産設備を考えたその人物はどれほどの経済効果を生み出したのか。そして多くの場合知識労働者のワークスタイルはチームプレイであることもその成果計測をより困難にしている。チーム内でその特定の人物の貢献度がどれくらいだったのかは判定が難しい。しかし筆者はそういう面での成果計測技術がこれから発達してくるのではないかと思う。物理レベルでセンシング計測技術が発達しているのと同様に、我々人類は目に見えないものを数値化することに歴史上常に挑戦してきた。いまや物理額の世界では、物質的に存在し得ないものですら計測できるようになった時代である。知識労働者の生産性や成果を明確に数値化する技術は近い将来きっと登場するに違いない。そうなった時、知識労働者の驚くべき生産性は明確になり、企業と従業員の関係を大転換する時がくるだろう。
Posted on 2008-10-29 by admin under [00] 序章.
このような潮流の変化を目の当たりにした我々の企業はその進路をどのように取ったらいいのだろうか?果たして知識資本主義に対応した企業の形態とはどのようなものなのか。我々の周りにある代表的な企業の強みと弱みを再考してみよう。日本で最も時価総額の大きく、世界的競争力の強い企業はトヨタである。時価総額20兆円。年間の売上高20兆円、営業利益は2兆円をたたき出す。自己資本比率は50%前後、規模の違いは別としてもトヨタの形態は良くも悪くも日本の基幹産業を代表した形である。ちょっとした独自商品をもつ企業であれば、営業利益率10%前後は行っているであろう。長年の利益剰余金を積み上げているのであれば自己資本比率は50%前後、現金性の預貯金も多く抱え、戦後の焼け野原から立ち上がった企業であれば旧日本軍からの払い下げでタダ同然の土地をもらい事業を始めた企業であれば場合によっては土地などの含み益も多い。そんな企業が日本には五万とあるだろう。海外の売上比率や現地生産の比率はトヨタと違えど、製造業であまり手を広げず、地道に独自路線を行く姿はトヨタにかぶるものでも有るのではなかろうか。
そんなトヨタも、自社の改革には手を焼いている。グローバルで20万人を雇用し、肥大化しすぎた組織、年間1兆円もかかる研究開発費。世界中で強まるCO2や有害物質規制、各種の環境対応。生産と販売のグローバル化、新興国の開拓、株主価値向上のための利益率向上などなど。三河の殿様などといわれた愛知県のローカル企業ではなく、地球市民として磐石の行動が求められている。今、トヨタが真に直面している課題とはなんだろうか?答えは一つではないし、聞く人によって答えは違うだろう。しかし、一ついえる答えは、「トヨタが知識企業とスケール企業のどちらに舵を取るのか」ということである。「知識企業」と「スケール企業」この両社は本質的には企業のバリューチェーンにおける分業体制、水平分業の考え方次第である。変動費、固定費の項目でも述べたが、企業にとって生産あるいは販売台数を1台増やす際に、やむを得ず増えてしまうものが変動費である。一方で生産あるいは販売台数を1台増やすためにも一義的には増えない、若しくはかなりの量が増えない限り増加しないものが固定費である。
自動車産業におけるバリューチェーンは、マーケティング、基礎研究、設計、試作、量産、販売、アフターサービスと繋がっていく。その各フェーズにおいてトヨタが自社で本当に持つべき必要があるのかどうかを検証していく作業が行われなければならない。究極の質問はこの3つだ。
・そのバリューは他社から借りてくることはできないか?
・他社に集約したほうが効率がいい可能性がないか?
・それは変動費要素ではないか?
多くの場合この質問に対する答えは次の2つだ。
・機密漏洩、ノウハウ流出の観点から好ましくない。
・前後のフェーズと関連するシナジーが失われる。
例えばマーケティングを外部ソースに頼れば自車のコンセプトを明確に考えられない可能性もある。研究開発を外部ソースに頼れば自社の本当に必要な研究開発を行えないリスクが生じる。生産を外部ソースに頼ればトヨタ式生産方式のノウハウを流出せずにさらに洗練できるのか。販売を外部ソースに頼れば、自社の販売戦略を正確に伝えられない恐れもある。