Posted on 2008-10-31 by admin under [01] マーケティングとは.
ではセリングを不要にするマーケティングとは一体なんだろうか?ここは何度も同じくだりを書いて読者も飽きてしまうかもしれないが、企業が環境対応するための唯一の指標は顧客原則という考え方である。顧客原則とは、「企業の永続性を支えるのは顧客の創出であり、それが唯一無二の答えである」という原則である。つまり、売上の増加のためにどういう手段を取るかというのを自社のリソースやスタンスで決めるのではなく、あくまでも発想の起点を顧客にすることが売上最大化の要諦なのである。企業活動は全てにおいて、「いかにしたら顧客が増えるか」という観点で行動しなければならない。それが唯一の行動指針である。そう考えることによって、部門間や担当者間などといった大変無意味な論争などに巻き込まれる事無く、ベクトルを顧客へと向けてオールカンパニーで行動できる。
「どうしたら顧客が増えるか」というのは言うは易く行うは難しである。顧客が増えるためには顧客が望む本質を理解する必要があり、そしてその本質を提供すると言うことが大事である。自社が足裏マッサージ店を営んでいるのならば、その顧客は何を求めて自店に来てくれるのかという本質を掴まなければいけない。駅ナカにある足裏マッサージ店を良く見かけるが、顧客は本当に足裏マッサージ、そのものを受けたくて入店しているのか?例であるが、もしかしたら顧客は単に気持ちよくリラックスして時間を忘れたいだけなのかもしれない。もしそれが顧客の望む本質であるとしたら、足裏マッサージなんかやめて昼寝サロンに業態を変える事を真剣に考えなければならない。これはあまりに唐突な発想であろうか。よく考えて欲しい。万が一にも顧客の本質を見誤ってしまったら、隣にライバルの昼寝サロンが出来たときにそちらに顧客を奪い取られることは明白だ。はたまた近隣の足裏マッサージのライバル店の時間単価を調査し、自社が優位になる価格設定をして価格競争に陥るだろうか。いずれにせよ自社のことしか見ていない企業は早晩市場からの撤退を余儀なくされる。
逆に顧客視点で顧客の望む本質を常に理解できたとしたら、それは本当に永続性のある企業となるだろう。顧客の要望の本質こそが企業経営の環境であり、それを常に知ること自体が環境適応のベースとなる。これがすなわち、企業永続性の必要条件なのである。
Posted on 2008-10-29 by admin under [01] マーケティングとは.
企業活動の本質は顧客創出活動にあると言った。顧客創出活動とはマーケティングという機能で担う。マーケティングとは「売れる仕組作り」である。よくマーケティングを営業と勘違いする向きが多いが、現実にはマーケティングとは営業と真逆のことである。営業は本質的に企業にとって必要なものではない。殆どの場合、モノやサービスは黙っていても売れないから、こちらから営業というリソースを掛けて顧客へ足を運び売りに行くのだ。営業というのはそういう考え方をすれば本質的に必要なものではない。相手が認知していないものを認知させ、相手にメリットを感じてもらい、最後に成約する。そのプロセスを行うのが営業である。ではマーケティングとは何だろうか?マーケティングとは売れるための素地を作る活動である。究極の姿を言えば、営業マンが売り込まなくても勝手に売れていく仕組を作るのである。営業は基本的に変動的要素である。あるモノやサービスを2倍売りたいとすれば、2倍の営業リソースが必要になる。これに対してマーケティングは固定的要素である。マーケティングがよければモノやサービスを2倍売るにも、営業リソースは増やす必要がない。あるいはお客のほうが勝手に並んでくれれば、営業リソースなんて本質的に不要なのである。
よくこんな例えがある。あなたがホットドッグ店を始めるとする。神様が一つだけあなたに与えてくれるとしたら、あなたは一体何を要求するだろうか?一等地の立地だろうか。あるいは世界一美味しいホットドッグを作るノウハウだろうか?答えはこのどちらでもない。唯一の正解は「腹ペコの客」である。顧客がお腹が空いていれば僻地だろうが、不味かろうがお客は来る。高い値段でも買ってくれるだろう。そこに営業マンは不要である。こんな例もある。MBAを卒業したメンバーが集まり経営コンサルタント事務所を始めた。いくら待っても顧客が来ないため、必死で電話営業を掛けて顧客を探し出し何とか倒産を免れた。営業だけでは自転車操業になり、業容を一気に拡大することは出来ない。営業とはそういうものであり、マーケティングとはその営業が不要になることを表している。ピータードラッガーの言葉にも、「Theme of marketing is selling unnecessary」という言葉がある。よくこれを、「マーケティングとは不必要を売ることだ」と解釈する笑い話があるが、勿論これは誤りである。「マーケティングとはセリン
グを不必要にすることだ」と解釈するのが正しい。顧客のニーズを明確化し、それに合った価値を提供する。そして顧客を並ばせる。売り込まなくても売れるのがマーケティングの本質である。
Posted on 2008-10-29 by admin under [00] 序章.
これらの疑念が脳裏をよぎるのは当然である。これまでの会社組織、特に戦後から日本の高度成長期、そして80年代のバブル期を経てきた企業にとっては、経営とはマーケティングから、研究開発、生産、販売までを一つの大きな川に例え、その川上から川下を統合することに最大の付加価値があると信じてきた。事実、ビジネス全体をトヨタという会社の中に抱えてある意味ブラックボックス化することで収益性を高めてきたのである。行き届いた従業員教育、統一された賃金体系、指揮命令系統の一元化、コミュニケーション障壁の少なさ。これらが日本人の気質に合うのもうなずける。契約社会ではなく、なぁなぁでお互いを思いやりながら仕事をすることに価値を見出す。また一方で終身雇用を前提とした家族意識、ムラ意識が帰属意識を高める。社内に職種が多く、活躍の場があふれているため、転職という大きなリスクを犯すことなくゼネラリストへの道を歩むことが出来る。他の民族より危機意識やネガティブ思考が強いといわれる日本人の気質にあっていることは確かだ。
しかしこれらを踏まえた上でも、先ほどの質問にもう一度立ち返って欲しい。我々にとって水平分業の余地は本当にこれ以上無いのだろうか?今やトヨタに集まる人材は優秀である。完璧な教育を受けた東大卒業生が世界№1企業へと山ほど押し寄せる。そこで彼らに用意されている教育カリキュラムと成長のプランやステージは、本当に分業した会社で学ぶことと同じレベルであろうか?トヨタの販売会社が教える車の売り方は、車の販売を専門としている会社のノウハウと比べてどうであろうか?専業の会社はそれだけで生き残るしかないから必死である。厳しい競争の中で長期的に販売だけで業績をなしえるために、自社内に厳しい論理と条件を持って自分を律する力が育まれる。顧客の視点に立てば、営業マンがトヨタの社員であろうがなかろうが、本質的には関係ない。教育が行き届き、気が聞いて、顧客要望を汲み取ってベストな提案をしてくれる営業マンから買いたいものである。そういう従業員を教育できるのは果たしてトヨタのほうだろうか?あるいは専業企業だろうか?
この考え方は全てのプロセスにおいて言えることであり、また、日本企業にとって良く当てはまる事実である。日本企業の垂直統合の姿を言い換えると、究極の表現は、「他者の人材よりも自社の人材のほうが優れている。」そして「他社の仕組よりも自社の仕組が優れている」ということだ。企業は人によって成り立つ。また企業の運営は仕組によってなされる。それを作るのもまた人である。垂直統合の考え方の根幹は、分業にメリット無いと言い換えているに等しい。その根底に流れるものは、自社の仕組に対する根拠なき自負である。是非本質的に自身の事業における垂直統合と水平分業を見極めて可能な限り水平分業の知識資本企業へと変貌することがこれからの企業における経営のテーマである。
これまで20年間の経営のテーマは選択と集中であった。非中核事業の切り離しと、自社の強い事業への経営資源の集中投入である。そしてこれからの20年の経営のテーマも同じく「選択と集中」である。そしてそれは微妙にニュアンスを変え、自社の得意事業だけではなくさらに一歩踏み込んだ、自社の本当のコアコンピタンスとそれを支える「頭脳・知識」のみに経営資源を集中投入するという意味であり、考え方だ。
車を1万台売るのと、1000万台売るのでは直接労働という観点では単純に言うと1000倍の労力が必要であるが、知識労働という観点では1000倍必要なわけではない。優れたマーケッターが商品コンセプトを一つ考えれば、それが直接労働の何十倍、何百倍もの生産性を発揮する。優れた生産工具を設計できる技術者がいれば、直接労働者の数を半減できるかもしれない。これら知識労働者の生産性の最大化は地球規模で富の配分を促進し、頭脳によって世界の生活水準を高めるという壮大な人類の栄光の証でもある。このように知識労働者の限界生産性を高めることが社会全体の発展につながるわけだが、一方で知識労働の最大の問題点は成果が測りにくいことである。直接労働者は、自動車を何台作った、自動車を何台売ったというように定量的な成果判定が行える。しかし、知識労働者はそのような定量的な仕事の成果の判定が極めて難しい。マーケティングのコンセプトにその人物のアイデアがどれくらい貢献したのか。優れた生産設備を考えたその人物はどれほどの経済効果を生み出したのか。そして多くの場合知識労働者のワークスタイルはチームプレイであることもその成果計測をより困難にしている。チーム内でその特定の人物の貢献度がどれくらいだったのかは判定が難しい。しかし筆者はそういう面での成果計測技術がこれから発達してくるのではないかと思う。物理レベルでセンシング計測技術が発達しているのと同様に、我々人類は目に見えないものを数値化することに歴史上常に挑戦してきた。いまや物理額の世界では、物質的に存在し得ないものですら計測できるようになった時代である。知識労働者の生産性や成果を明確に数値化する技術は近い将来きっと登場するに違いない。そうなった時、知識労働者の驚くべき生産性は明確になり、企業と従業員の関係を大転換する時がくるだろう。
Posted on 2008-10-29 by admin under [00] 序章.
このような潮流の変化を目の当たりにした我々の企業はその進路をどのように取ったらいいのだろうか?果たして知識資本主義に対応した企業の形態とはどのようなものなのか。我々の周りにある代表的な企業の強みと弱みを再考してみよう。日本で最も時価総額の大きく、世界的競争力の強い企業はトヨタである。時価総額20兆円。年間の売上高20兆円、営業利益は2兆円をたたき出す。自己資本比率は50%前後、規模の違いは別としてもトヨタの形態は良くも悪くも日本の基幹産業を代表した形である。ちょっとした独自商品をもつ企業であれば、営業利益率10%前後は行っているであろう。長年の利益剰余金を積み上げているのであれば自己資本比率は50%前後、現金性の預貯金も多く抱え、戦後の焼け野原から立ち上がった企業であれば旧日本軍からの払い下げでタダ同然の土地をもらい事業を始めた企業であれば場合によっては土地などの含み益も多い。そんな企業が日本には五万とあるだろう。海外の売上比率や現地生産の比率はトヨタと違えど、製造業であまり手を広げず、地道に独自路線を行く姿はトヨタにかぶるものでも有るのではなかろうか。
そんなトヨタも、自社の改革には手を焼いている。グローバルで20万人を雇用し、肥大化しすぎた組織、年間1兆円もかかる研究開発費。世界中で強まるCO2や有害物質規制、各種の環境対応。生産と販売のグローバル化、新興国の開拓、株主価値向上のための利益率向上などなど。三河の殿様などといわれた愛知県のローカル企業ではなく、地球市民として磐石の行動が求められている。今、トヨタが真に直面している課題とはなんだろうか?答えは一つではないし、聞く人によって答えは違うだろう。しかし、一ついえる答えは、「トヨタが知識企業とスケール企業のどちらに舵を取るのか」ということである。「知識企業」と「スケール企業」この両社は本質的には企業のバリューチェーンにおける分業体制、水平分業の考え方次第である。変動費、固定費の項目でも述べたが、企業にとって生産あるいは販売台数を1台増やす際に、やむを得ず増えてしまうものが変動費である。一方で生産あるいは販売台数を1台増やすためにも一義的には増えない、若しくはかなりの量が増えない限り増加しないものが固定費である。
自動車産業におけるバリューチェーンは、マーケティング、基礎研究、設計、試作、量産、販売、アフターサービスと繋がっていく。その各フェーズにおいてトヨタが自社で本当に持つべき必要があるのかどうかを検証していく作業が行われなければならない。究極の質問はこの3つだ。
・そのバリューは他社から借りてくることはできないか?
・他社に集約したほうが効率がいい可能性がないか?
・それは変動費要素ではないか?
多くの場合この質問に対する答えは次の2つだ。
・機密漏洩、ノウハウ流出の観点から好ましくない。
・前後のフェーズと関連するシナジーが失われる。
例えばマーケティングを外部ソースに頼れば自車のコンセプトを明確に考えられない可能性もある。研究開発を外部ソースに頼れば自社の本当に必要な研究開発を行えないリスクが生じる。生産を外部ソースに頼ればトヨタ式生産方式のノウハウを流出せずにさらに洗練できるのか。販売を外部ソースに頼れば、自社の販売戦略を正確に伝えられない恐れもある。
Posted on 2008-10-25 by admin under [00] 序章.
大きな企業を経営しているあるいは携わっている人にとってこのホームページ制作で起業した人物の話はどう写っただろうか?自分の会社の規模にとっては関係のない話、あるいは巷ではそういう人も増えているという感想をお持ちになったくらいであろうか。この事例は決してそういう単純な事例を紹介しただけではない。我々は今、世紀の産業大変革期にいる。これまで数百年に渡って資本主義社会の産業の基本は設備集約型や労働集約型であった。それらの産業実現のためには大規模な資本が必要になり、そこには株式公開という資本調達市場や銀行という間接金融の提供市場が必要となる。しかしいまや我々の産業の多くは知識集約型と先述の2形態が断絶する環境に置かれている。2008年に大ヒットしたアップルコンピュータのiPhoneや、任天堂のWiiはどちらも自社工場を持たない企業によって作り出された。iPhoneもWiiも製造しているのはアップルでも任天堂でもなく、EMS(電子機器製造専業メーカー)の台湾Honhaiエレクトロニクスである。知識と労働が企業を分断し、国を隔てて、一つの商品として実現しているのだ。高度に発達した分業体制は製造業にとどまらない。コールセンターなどの産業は今やインドや中国で大規模に展開されている。日本語を話せる人々が多い中国の大連では、日本企業のコールセンターが大規模に開設され、日本のユーザーが電話した内容は大連のオペレーターが受信して対応している。Dellのコールセンターはインドのバンガロールにある。ビジネスにおける垂直統合は、高度な地球規模の水平分業になっている。これを可能にしているモノはなんだろうか?そ
れはICT(情報通信技術)を置いて他にない。インターネットの爆発的な普及はこういったグローバル水平分業を推し進めている。
そしてさらに知識資本の労働にもさらなる革命第二波として津波のように押し寄せている。それはあなたのデスクにあるパソコンの「向こう側」で起こっているのだ。知識資本労働に必要不可欠な「ソフトウェアの無料化」が大爆発して蔓延しているのである。パソコンを導入している企業ならほぼ導入しているであろう、マイクロソフトのオフィスは、米サンマイクロシステムズや米IBMが推進するオープンオフィスというソフトウェアによって、90%以上の代替性を確保している。マイクロソフトのオフィスを導入するには1台のPCにつき2万円以上の経費が必要だが、オープンオフィスはそのホームページからダウンロードするだけで無料で利用できる。もちろんマイクロソフトのWord、Excel、PowerPointなどは当然開けるし、編集した内容をマイクロソフトの形式で保存することもできる。一般的な利用方法において、95%以上のユーザーはオープンオフィスで困ることはないであろう。マイクロソフトのオフィス関連売上高は1兆円を超えるが、マイクロソフトはいまやそれを100%失う危機にあるといえる。マイクロソフトの幹部はオープンオフィスの存在が知れ渡るのを少しでも遅れることをただ祈るのみだ。
マイクロソフトの幹部が恐れるのはそれだけではない。Linuxの台頭である。オープンソースのOSであるLinuxは当時フィンランドの学生であったリーナストラバース氏を中心としたボランティアで作られた。それが今や世界のウェブサーバーの99%で標準ソフトとして利用されている。Dellは一般の人々が使うネットトップという5万円の格安パソコンの目玉としてOSにLinuxをインストールしたモデルを発売した。OSが低コストなので、販売価格を徹底的に引き下げられる。世界中のウェブサーバーを構築する際のサーバーソフトApache(アパッチ)というソフトも無料である。さらにウェブページを構築するためのオープンソースソフトが大量に無料でインターネット上にはあふれている。多少の知識があればブログシステムやポータルサイトが10分ほどで構築できる。MixiのようなSNS(ソーシャルネットワークサービス)も同様にオープンソースソフトで構築することができる。このようなオープンソフトを活用して企業向けにシステムを開発する起業家がいま爆発的に増えている。
ブラウザーやメールソフトは実質無料になっているが、マイクロソフト以外にも、Firefox、Opera、など優秀なソフトが台頭している。マイクロソフトの牙城が崩されることを書いたのは私がマイクロソフトを好きだとか、嫌いだとかそういう次元の話ではない。
他にもある。AdobeのFlashとほぼ同等の機能でFlash動画を作れるソフトが、Suzuka、Palaflaといったソフトでこれらも無料で公開されている。画像編集ソフトではPhotoshopが8万円もする高価なソフトであることは知られているが、こちらも無料でPixia、GIMPといったソフトを活用すればPhotoshopの機能の5割くらいのことができる
書き忘れたが、オフィスソフトの代替品には他にもKingsoftなどの中国製ソフトもある。こちらは有料ではあるが、費用はざっとマイクロソフトの6分の1である。常にディスプレイ上でマイクロソフトのロゴを眺めていないと落ち着かないMS依存症の人がもしいるならば、あるいはお金が十分に余っているならば、6倍高い値段で旧世紀のソフトを買うことをオススメする。
繰返しになるが、私はマイクロソフトの株を空売りしているわけではない。これらは象徴的な出来事であるということが言いたいのだ。これまでの産業の大潮流をみてきて、一般の人々に何か影響を及ぼす事実があるとき、それは一つの時代の変化を表すものではなかっただろうか?50年前の日本で、学生がアルバイトで稼いだお金で飛行機に乗って海外旅行をするなんて誰が想像したであろうか。ショルダーバッグほどの大きさの携帯電話が登場した1990年に、その15年後には胸ポケットに入る100gの携帯に500万画素のカメラとウォークマンが入っているということを誰が想像したであろうか。
社会を大きく変革する事実は、小さな事象をつぶさに見れば発見できる。先に書いたホームページ制作起業家の例や、無料ソフトの台頭は我々に何を示唆してくれるのであろうか?ぜひ考えてみて欲しい。これは巨大資本・生産設備・単純労働といったボリューム集約産業の産業形態から、軽量でスマートな知識労働集約型の産業形態へと大きく変換する土台が世界規模で推し進められ、既に整い始めたことを意味している。
Posted on 2008-10-25 by admin under [00] 序章.
経営にリスクはつき物である。ベンチャーという語源が冒険と近いのもそういう見かたが世間にあったからである。リスクの無いところにリターンはない。経済の基本は分業の利益である。専門家になることで専門家たるメリットを出せ、それが個人の活動からかけ離れた付加価値を生むのである。トヨタは普及型の車(ヴィッツなど)を100万円で販売しているが、個人が自動車の部品を発注しトヨタと同じように組み立てていても100万円などという低価格ではとても組み立てられない。トヨタは世界で年間900万台も生産するから量産効果が現われ、コストを低減できる。しかしそこには年間900万台も販売しなければいけないという大きなリスクが伴う。万が一にもありえないことだが、900万台作ったのに1台も売れなければリスクを犯して生産したことが自社を倒産に追い込む危険もはらんでいる。分業の利益とは言うなれば数を集めることであり、それがリスクと等しくなり、リターンとの正の相関をもつ。つまり経済活動の原則は専門性にあるのであって、総合性にあるのではない。しかし、かつての松下電器産業、三洋などといった総合電機メーカーに見られるような一方的な拡大路線はその後の社会の低迷時期に莫大な赤字を生み出す事業となって自社の存亡を揺るがすのである。ここにも常に経営者は「自社の強みは何か」ということと、社会環境の変化を先取りして「自社の強みをどう変化させていくべきか」ということを考えていなければいけない。
ボリュームがリスクと等しいと書いたが、最近のビジネスでは実際には少しニュアンスが違っている。IT化の進展や知識労働による付加価値の拡大によって、ボリュームがリスクかというとそうではない場合もある。利益は売上-費用であることはご承知のとおり。その費用の中には変動費と固定費という分け方がある。変動費は生産量に比例して増えていく要素であり、自動車1台につき1つ使う部品などは変動費そのものである。一方で固定費は生産量に依存しない費用で、生産設備や人件費である。現実には純然たる固定費は知識資本以外に無く、生産設備も生産量が倍になれば倍必要になることが一般的である。よって「変動固定費」とでも表現するほうが適当であろうか。
旧来の資本集約型の産業では、固定資産となる生産設備を莫大な投資額で購入し、それを減価償却で回収するというビジネスモデルである。しかしこの50年間で世界の付加価値の創出構造は変化し、多くはサービスなどの知識労働が占めるようになった。また10年来のIT革命により、単純作業の計算コストが劇的に安くなり、限界計算費用が実質ゼロ円となった。これによって世界中にタダで電話できるSkypeのようなシステムや、日本中の中からその商品を最も高く買ってくれる人を探し出すことがほぼ無料でできるようになった。これらIT革命と知識労働者の勃興は産業構造のみならず、起業の方向性に大きな影響を与えたのである。
いまやパソコン1台と電話1台で起業する人は決してマイノリティではない。パソコンを使えば世界中の人々とメールが無料で出来、インターネットを使えば自分の音声や動画を配信することもできる。ホームページの制作を個人で請け負っている私の友人は、まさにパソコンと電話のみで仕事をしている。画像処理ソフトを含めても初期投資はざっと20万円だろうか。固定費が極小ならば変動費はゼロである。パソコン上で制作するファイルはいくら作ってもコストは掛からない。自分の人件費さえ出ればあとはお客を増やすだけである。
コンサルタントも増えた。経営コンサルタントといっても工場現場改善コンサルタントもあれば、省エネコンサルタント、家賃交渉コンサルタントもいる。士気向上コンサルタントもいれば、賃金体系構築コンサルタント、営業マン育成コンサルタント、果たして「コンサルタントの選び方コンサルタント」まで存在する。彼らは全て電話一本、パソコン1台で起業ができてしまう。目に見える固定資本はパソコンと電話だけで、残りの固定資本は脳内に格納されている。この脳内資本は腐ることもなく、顧客を獲得すればするほど容量を増し洗練されていくものである。
全ては分業、低資本、集める、専門家、ノウハウ というキーワードを全うしていれば経営における破綻リスクは少なく永続する企業への順調なスタートを切ることが出来る。
Posted on 2008-10-22 by admin under [00] 序章.
企業経営の方針をどのようなステップで決めていくかは現実には少しのコツが必要となる。例えば新たに起業したばかりで、さして企業理念や目的も持たずに経営に当らなくてはならない場合も多い。目の前の1000万円の売上が予定通り獲得できれば、その先はどうにかなるだろうといった安易な流れで事業を始めるケースも散見される。各種異論は有ると思うが、私は個人的にはそういう起業の仕方は歓迎である。あまりにも長期的な綺麗事を標榜し、鳴り物入りで起業したベンチャーが最初の受注が取れずに資金繰りに奔走する例はよくある話だ。それに比べれば目の前の顧客に集中することで当座の資金繰りができる商売は、まずは回してしまえといういささか身勝手な助言と経営者の勢いに任せておき、その後のPDCサイクルを上手く生かせれば十分な規模の会社になる事例のほうが確率的に高い気がする。起業というのはそれくらい勢いの必要なことであり、理論とかけ離れた現実に直面するのは立身出世の人の話を聞けば明らかである。逆に綺麗に理論立ててすべてのことが上手くいくのであればベンチャー企業経営ほど過去の経験が全く生かされない例は人類の歴史上見たことがない。
この本ではそこに一つの解を、あるいはそのヒントになるべきことを提言したいと思う。この助言が一人でも多くのベンチャー経営者を救うことになれば幸いである。私がここまで書いたことにもヒントがあるが、起業したばかりの会社が最も大事なことは倒産の憂き目に合わないことである。倒産とは冒頭に書いたように資金繰りである。資金繰りというのは簡単に言えば現金を持って商売をしているかどうかであり、1人で元での掛からない商売をしながら1億円の受注を手に入れたところでその入金が10年後であれば10年間電気代も自分の食事代もしなければならず、物理的に餓死(=倒産)してしまう。これはやや極端な例だが、目先の現金ができる商売をプライドを捨てて選ぶということが第一である。製薬ベンチャーが臨床試験にまでいかずに倒産する例は枚挙に暇がないが、そこまでなる前に臨床実験の試験代行サービスなど、他社の製薬会社が必要としている付加価値の低いサービスをしても構わないわけだ。もちろん利益率が低いのが許されるわけではないが、将来得られる金の卵をいつまでも産めずに餓死するよりかは大幅にディスカウントして現金を回収し運転資金に当てるのは選択肢としてないわけではない。夢のエコカーを開発するベンチャーはその夢が夢のまま終るリスクと常に隣り合わせであるが、10年後のエコカーを狙うgoing-mywayよりもドラッカーが言うGoing-concernにしたほうが10年後の実現性も現実味を帯びてくるものである。
もしあなたの企業が夢を追って莫大な利益計画を立てているとしたらそれは立派な考えである。壮大な計画で世界をあっと言わせることはベンチャー精神の出発点であり、何ものにも変えることが出来ない人類の偉大な足跡になる。一方でその夢を支える日々の現金のやり繰りはどうなっているだろうか。夢で10年先を見通しているあなたの目は来月の現金収入も一応目には入っているだろうか。片目でチラリでも構わない。そういう観点で事業のポートフォリオを組んで欲しい。近視になる必要はないが、遠視にばかりなってもいけない。夢を追いつつ、今月、来月の現金をどのように工面するか。そのために単純で泥臭いけど付加価値の低い仕事で換金性の高い商売を並行して行っているだろうか?単一事業では単一の現金回収期間しか期待できない。長短、複数の現金回収期間をもつ事業を展開することであなたの会社の安定度とそれにまつわる銀行、投資家からの信頼はゆるぎないものになるであろう。
Posted on 2008-10-22 by admin under [00] 序章.
【PDCサイクル】
以上の経営理念・経営計画・経営戦略・経営戦術・オペレーション、というのが経営のブレイクダウンのプロセスである。そしてこれらのブレイクダウンプロセスを上手に回すのがPDCサイクルによるフィードバック制御である。Plan、Do、Checkの3ステップによって経営が順調に進んでいるかを確認することができる。Planは、経営理念~経営戦術までを示し、Doがオペレーションを意味する。そこで刈り取った成果をCheckして管理・監視し、経営目標が実現できたかどうかを各段階で見てフィードバックを掛けていくのである。このためには現場の状況を経営層が知るためのツールが必要であり、最近ではIT化によってこの補助がなされている。しかし、企業経営の本質である「環境適合」は現場レベルの小さな変化を熟知していないと感じ取ることはできない。そうな
ると結局は経営者が現場をつぶさに見ることで本質にたどり着くことができるというのが自明的な考え方だ。
長くなったがここまでが基本的な経営のステップであり、経営実行の最もオーソドックスなプロセスである。経営における要諦を再確認しておくと、最も重要なのは顧客の創出であることが言える。顧客の創出とは、自社の提供するサービスや商品の価値を納得し、お金を払ってくれる人を増やすということである。新たに増やすでもいいし、これまでよりも購買頻度を上げてもらうというのも顧客の創出に通じる。また、顧客の創出は需要の創出と言い換えることも出来る。そのサービスや商品を欲しい人が増えるということは需要が増えるといえるわけで、需要が増えれば価格は安定的になり収益性も上がる。サザンオールスターズの解散コンサートのチケットがオークションで高値で取り引きされるのと同じで、需要が強烈で、供給が一定ならば価格は必然的に高くなる。経営の最終目標が理念の実現ならば、経営の中間目標はシンプルに利益である。そのためには顧客の創出と同時に、自社でなければ供給できないことを追及することである。
新しい需要を発見したとしても、その業界への参入障壁が一切無ければあっというまに価格競争に陥り、せっかくの需要増も利益に反映できない。そうならないためにも自社の供給にどのような特徴があるのかを明確に定義し、焦点を絞りつづけることが日々の経営の中に求められる。自社がパソコンを組み立てる会社であれば、いまやパソコンの組立など個人でもできることなので、本質的にそのままの状態では付加価値が生まれない。しかしパソコン組立のための教室を開いたり、普通の人が組み立てられないキットを組み立てるのであれば、その技能を修得することが自社の強みを際立たせることが出来る。もしくはキットを開発し、小学生でも組立が出来るようにして販売するのであれば、そういうキットを集める商品開発力が本当の意味でのその企業の強みになるかもしれない。
このように自社の強みを明確化してそのポイントをフォーカスし、絞込み、さらにユニークな箇所を伸ばしていくことは非常に重要である。SWOT分析(強み、弱み、機会、脅威)という分析手法では、自社の強み、弱みを明確化して経営戦略を練るということが頻繁に行われている。この際の「S=強み」では、現状の強みのみをクローズアップして記載する傾向が強いが、実際には強みを経営目標に照らし合わせた際にさらに経営目標の実現を加速するためには、「どういう強みの強化」が必要なのかを明確にする必要がある。SWOT分析ではそこまでは行われていないが、現実には現存する強みを整理しただけで計画/あるいは戦略を実行できるのは稀で、「強みをさらに強化すること」で戦略の実現性が高まるものである。
Posted on 2008-10-22 by admin under [00] 序章.
ここから先は現場レベルに落とし込まれていく。
【経営戦術】
経営戦術とは、実際に戦略を実行する際にその実効性を高めるためのツールである。目の前にある課題を解決するために最も少ないリソースで最も多くの効果を上げる手法を選択することが経営戦術である。こちらも戦略と戦術の混同がよく見受けられる。戦略とはあくまでもアウトライン、ガイドラインであり、実際に現場でそれを実行に移すのは戦術の良し悪しが決め手となる。例えば売上を上げるために販促をするにしても、営業マンの訪問回数を増やすのがいいのか、チラシを撒くのが有効なのかといった手法は、リソース(人・物・カネ)と成果(売上)に直結する命題である。一般的な戦術とは、経営戦略が無くても機能するが戦術の頭に「経営」とつけるからには、経営戦略との整合性が取られていなくてはいけない。例えば支店に落とし込まれた目標を効率よく達成するためには常に戦術に磨きを掛けていることが重要だが、一方でそれが必ずしも全社の経営戦略と整合性を持って策定されているかということに関してはチェック機能がない場合が多い。この戦略と戦術の分離が企業の目標達成度の大きな要諦になる。なぜかというと、ある程度の規模の会社であれば、経営戦略までは経営陣が決めることが多いが、経営戦術となると現場のマネージャーの裁量に掛かってくる。また、経営戦略をよく理解したマネージャーがその戦略を咀嚼して経営戦術を練らないと単なる戦術にしかならず、自己満足の戦術が経営戦略の実現を邪魔することもありうる。よってこの段階では優秀なマネージャーがどれほど居るかがポイントとなり、どの企業でもいわゆる「ミドル層」が業績を左右すると言われる所以である。
【オペレーション】
経営戦術が決まったら今度はそれを現場の作業に落とし込まなければならない。現場に考える能力を期待するかしないかは企業の経営方針によって異なるが、基本的にマネージャーの考えやポリシーが現場との間に乖離がないと考えるならば、現場は作業者に徹したほうが効率がいい。経営戦術を各メンバーに役割として割り振り、実行に対する予実管理を行う。この作業レベルに落とし込むところも、経営戦術の実効性に大きな影響を与えることが多い。これには2つの側面があり、一つはマネージャーと作業者の成果に対する考え方の違いである。マネージャーは一般的に実績に対する成果報酬のため、作業量に対する労働の弾力性は無限大となる。一方で作業者は一日8時間の労働時間やそのオーバータイムに対して時間給をもらっているため、作業量のバラツキに対する労働負荷弾力性や成果給の要素が少ない。そこでその作業量の平準化と、専門作業の確立を行う必要がある。二つ目の問題はこの作業の標準化、及び割り振りのメンバー間の平準化である。これにはマネージャーの現場作業に対する理解や現場メンバーの力量の見積に関するセンスが問われる。一般的に生え抜きのマネージャーならばその作業量の見積が概ね正しくなるが、外様で外の部門から来たマネージャーは現場作業に対して理想論、正論が先行してしまい、標準化・平準化が適切に出来ない可能性がある。作業が常に煩雑であると、作業効率が低下する。例えば図版の制作作業であれば、レイアウト作業を一人の専門家がやるほうが統一感の面でも作業性の面でも望ましい。それを分からないマネージャーが業務を割り振るのは現場にとっては悲劇である。さらに追い討ちを掛けるのが近年のIT化の進展である。IT化により、単純作業は自動化できる余地が多くある。しかしマネージャーのレベルによってはIT化による効率度合いが全く分からないため、膨大な作業量を目の前に、困惑するマネージャーと、そんなの1分で出来ると見積もる若手社員に世代の断絶が見受けられる。
Posted on 2008-10-20 by admin under [00] 序章.
まずは企業経営の根幹をステップを追ってみていこう。
【企業理念】
企業には永続する所以となる理念が存在する。会社によってはミッションステートメントと表記したり、クレドという表現をしたりする会社もある。その企業が存在することによってどれほど多くの幸福を世界に提供できるのかについて書いた根本的な考え方が企業理念である。これは社会市民として「企業活動のあるべき姿」を提供するものである。当然ながら毒物の入った食品を作ったり、命の危険をさらすような乗り物を作ることは企業としての理念にふさわしくない。社会から信頼をされることが企業存続の条件なのである。
【経営計画】
企業理念を実現するためには概ねの経営計画が存在する。これは企業が主に資本市場から信頼を受けるための道具である。往々にしてこれらは売上・利益を中心とした数値目標や、あるいは事業の領域について述べられたもので、おおよそ3年~10年単位で作成される。企業理念を達成するための施策をどのような事業領域で実現するか、それを明確にするのが経営計画である。1~2年程度の短期的過ぎる計画は現在の延長線で描けるため、実現に至るためのブレークスルーが少なく、経営計画としてはあまり適切ではない。
【経営戦略】
経営計画を実現するための戦略的な行動計画が経営戦略である。よく、経営計画と経営戦略を混同する人が多いが、この2つは上下関係が定まっており、本質的にレベルが異なる。経営計画は上述のとおり、現在の延長線上で描けるものではない。新しい事業の創出や、これまで以上の利益率、あるいはシェア・売上の急拡大など、経営者の思い入れと資本市場からの要求によって形成されるものである。現実に現在の延長線上で描ける経営計画であれば、戦略は必要ない。ところが一般的に経営計画を実現するためにはリソース(経営資源)の不足に直面する。人員が足りない、投下資本が足りない、日程が少ない、あるいは利益率の低下を余儀なくされる、売上高の一時的な減少を余儀なくされる、などである。大きく分けると、本質的に物事が足りないがゆえに二律相反に直面するのである。二律相反を解決するためには「これまで以上に頑張ります」などと寝ぼけたことを言っ
ていては経営計画はタイムアウトしてしまう。そうならないために、経営戦略では、物事に順序を決めるのである。よくある過ちが、シェアと利益の向上を狙う戦略である。これは計画ではありえても、戦略ではありえない。シェアの拡大には販促費の増加や、低価格化路線の採用など、利益率を低下させる要素が満載である。よってシェア向上の際には利益率は落ち込む。一方で利益率を向上させたければ販売価格の上昇や販促費の一時的な減少などでシェアは低下の一途をたどる。このようにシェアと利益率の向上といった二律相反は経営計画のレベルでは解決できない。そこで戦略に落とし込み、最初の2年間は利益重視で、その後シェアをとりに行くという順序付けが行われる。この順序が企業の状態によっては逆になることもある。そのように二律相反を順序によって解消して経営計画を実現するのが戦略の本質である。